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大きいプロジェクトの一旦の締め
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- Riki "Remicck" Kawai
- @Ricckn
1年半くらいやってたプロダクトが、ようやく全国リリースした
ある会社のSFAツールをずっと作っていました。
確かこのBlogでも少し書いたことがあったと思いますが、大きい会社のSFAツール作成の依頼を完遂したこと自体だけでも自分を褒めてあげたい気持ちです。
もちろん自分の力だけではなく
- 先方の営業戦略部、情シスの協力
- デザイン会社様
- 社内メンバー
全員が素晴らしい動きをしてくれたと強く感じています。
自分がやっていたことはこの各種関係を中間で良い具合に取りまとめるようなPMで、もちろん内部の開発は引っ張っていきましたが、プロジェクト全体から見れば潤滑油的なポジションで動いていたような気がします。
「あの」日 ①
あの日は実は3日間あります。
ひとつは「二次プレゼンを行った日」で、広くはその前日も含みます。
二次プレゼンが実質最終プレゼンだったわけですが、この前日もちろん資料をギリギリまで調整していて、終電間際での帰宅が確定していました。
自分は割りと家から会社が近いので、最後まで残って作業をしていたのですが、ちょうど地震が発生して電車が止まるという自体になりました。
今でこそタクシーで帰れば良かったなぁと思うわけですが、あのときは最寄り駅のひとつ前の駅まで動いていることがわかったため、歩いて帰りました。
ちなみにこのとき聞いていた曲は「Sound Horizon」です、なんでだろ・・・。
しかも帰ってくるとLoLのWorldsがやってるわけで、Cloud 9 VS DFMという、歴史的な試合が繰り広げた日でした。
1時間半は喋り続けなくてはいけないプレゼン前日に観るもんでもないと思うわけですが、しっかり観戦して臨んだあの二次プレゼン。
オンライン上での1時間半虚空に向かって喋り続けるプレゼンは拷問のようでしたが、その1週間後に決定の連絡が来たときは・・・、いやできるんかなぁと思いましたね・・・。
「あの」日 ②
6月末の検収物がヤバかったときですね。
パッケージ屋が、かなり大規模に、これまでないような修正を加えなくてはならず悪戦苦闘していました。
1週間前の時点でやばいことがわかってきていて、緊急で体制を組み直して臨んだ一週間で、最終的には無理という判断が下り、そこからは緊張し続けている状態。
なんとか目処が見え始めたときには7月1週が終わるころでしたが、あの時ほど厳しいものはなかったですね・・・。
「あの」日 ③
全国リリース日。
思ったよりも静かにリリースされました。
サーバー負荷なども十分計算していたし、そもそも負荷は高くならないだろうと思いつつも、なんとか初日200人ほど、最終的には合計600人ほどが利用し始めるようになります。
いまだにサーバーの負荷が増大し続けて利用が困難ということは起きていません。
思い出が多すぎる
そんなタイミングで、開発が始まってから13か月間頑張ってくれていたエンジニアが1人チームから抜けました。
すごく助かっていたし、彼のお陰でやり切れたことはかなりあるわけですが、こういうこともあります。明日はおそらくロスを感じることになるでしょう。
途中人は変わりながら、開発陣としては最大12名、通常5名体制で臨んだ本プロジェクト。
良いチームができたなぁと強く思っています。
ここから、追加の開発が始まりまた新しい設計を加えていく形になっていきます。
アジャイルではないけども
自分が思うのは、かねてから「開発が完成することはなく、ずっと改善していくものだぞソフトウェアとは!!」と言い続けたことが、先方のマインドをかなり変えてるところがあるなぁという部分です。
これもあり、契約の上でもある程度柔軟に作業ができる範囲を定めていて、かなり要望がガンガン出てきています笑
予算の中にこの費用を盛り込んでくれる会社は珍しく、この点では非常に助かりました。
これからも本プロジェクトメンバーと、このツールを使うすべてのユーザーの体験が最高になるよう、努めて行きたいです。
久々にエモい話書いたけどこんなところで・・・。