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OK Googleと羞恥心

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    Riki "Remicck" Kawai
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    @Ricckn

知人と会話していて、「OK Google!」とか「アレクサ!」を家族の前でも発声するのが恥ずかしいという意見を耳にした。
そう感じる気持ちがわからないわけではないけど、こういうのは克服していく必要があると思っているのでそのことについて書きます。

声でコマンドを送ることの恥ずかしさ

我が家はGoogle系のスマートスピーカーで固めていますが、日常的に音声でいろいろなことを頼んでいます。
ガッツリスマートホーム化しているわけではないので、天気・テレビ操作・タイマー・検索くらいなものですが、それでも便利です。

上にも書きましたが、どうもこれに抵抗感のある人がいるようで、活用できていないとのこと。

気合で慣れる

自分の考えではこれは諦めて「気合で慣れる」必要があると思っています。
行く末は良く言えば「ITオンチ」、悪く言えば「老害」だと認識していて、そのことについて書きます。

まず、構造としては「Wirelessイヤホンで通話すると虚空に向かって喋っているように見えるので恥ずかしい」という現象に近いのかなという感想があります。
スマートフォンの出始め(2010年ごろ)に、Bluetoothのイヤホンを使って通話をしていた私としては、このとき微妙な恥ずかしさがありました。
さらに言えば、この恥ずかしさを解消するため?なのか、マイク付きのイヤホンを使っているのにもかかわらず「携帯を口元に持っていってあたかもマイクを使っていますよ」とアピールしている人に驚いた記憶もあります。

確かに、「なんか虚空に喋ってる人」を変な人のように感じる感覚はある気がします。

ですが、今後音声認識はより高度になり、ChatGPTのような自然言語処理系が優秀になればなるほど、音声による操作は一般的になりそうな昨今。
だまって音声認識になれておいたほうが後々良いでしょうというのが自分の意見です。

ちなみに私の叔父は、スワイプ入力が苦手という理由だけで音声認識を使って文字入力を行っています。
多分もう5年以上前からそうだと思うのですが、私の感想としては「ぜんぜん自分より未来を生きている」でした。

まずは他人に寛容に

結局変な人(に見える人)を忌避する防衛本能的な部分が悪さをしていると思いますが、一瞬「ん?」となったとしても正直他人が虚空に向かってまともなことを喋っていたら普通は通話だと思いますよね。
ビデオ通話がガラケに実装されたは不思議に感じましたが、今ではスマホに向かって喋っている人がいてもとくに変に感じません。

より相対化して自分を見れば、他人のことはそこまで気にしていないのでならばテクノロジーを使いこなしたほうがメリットは大きいと思います。

そのためにも、他人により寛容になる、不干渉であることは意識として持っておいたほうが、変な暴力性が表面化しないため良いかなと。

老害にならないように

私には7つ離れた妹がいますが、いろいろな部分でジェネレーションギャップを感じます。
新しいことが流行った・広まった・出てきたとき、「昔と違う」部分でコストを感じることは少なくありません。

なるべく意識の上では「黙ってやってみる」というのを続けると、段々とそのハードルが減ってくると思いますので皆様も勇気を持ってチャレンジしていく精神が大事だと考えています。